方円信哉(ほうえん しんや)
◎1954年高知県生まれ
◎1973年 土佐高校卒業
中高一貫教育の中でサッカーをする。
◎1978年 慶應義塾大学商学部卒業
勉強も運動もせずただ無駄に日々を過ごす
◎1978年 株式会社三越入社
◎1984年 転勤で新潟市に住む
通勤時間がわずか5分、会社に入り初めて自分の時間ができる
冬が長く気候がアウトドアスポーツに向かないのでインドアでテニスを始める
テニスの世界の激変 コナーズ、エドベリからベッカーへ パワーテニス
パワーをつけるためボディビル、健康クラブに行くがイマイチ
◎1985年 初めてスポーツクラブに行く、そしてエアロビクスをする
都会ではやりはじめたスポーツクラブが新潟にも出来る
ウエイトをやるためスポーツクラブに行きはじめる
いつしかテニスを止め、エアロビクスに入り込む
◎1988年 転勤で東京に戻る、ほぼ毎日ジムに行く
店舗限定会員から全店舗使用可能の会員に変更
スポーツクラブもバブル、高い入会金。エアロビクス全盛の時代
毎日ジムに行くのでラグビー部に勧誘され、誘われるままにラグビーまで始める
◎1990年 競技エアロビクスを始める
楽しかった初期、だんだんおかしくなって、、、、
◎1995年 ウエアー作りに興味を持ち洋裁学校に入学
モードしての服、ファッションとしての服作りでなく
服そのものの作り方 パターン、縫製と行った地味な基礎を勉強。いい先生の巡り会う
◎1996年 競技エアロビクスを止める
フィットネスが多様化しはじめる
プール、マシン、エアロだけでないフィットネスが次々と。多様化する
競技はあまりにマニアックな世界に
◎1997年 初めて商品化し、売る
競技を止めてもフィットネスを続ける。自分にとりフィットネスが一生続くものと確信
会社を作るより、まずはお客様作り,立ち話から初めての1着が売れる
時間がなくなりラグビーは現役引退し、ウォ―ターボーイとして後輩の面倒を見る
◎1998年 合資会社フィットビートとして事業を開始する
不安はあるので専業にはせず、まずは兼業でお客様作りに
何でもやってみるから、集中化そして、新しい物に取り組む
◎2008年 仕事を1本化しフィットビートに専念する
テレビ、雑誌等に紹介される
イタリア的家内企業をめざし、プロとヘビーユーザーに愛される商品作りを心がける
◎2011年よりボディビル関係の仕事も手がけることにした